校長室より

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 令和6年度より、本校校長として赴任してまいりました灘野達人(なだのたつひと)です。生徒の皆さん、保護者の皆様、同窓生の皆様、そして地域の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。東温高校に校長として赴任できたことをとてもうれしく思っています。
 東温高校は、東に連峰石鎚を仰ぎ、南には緑に映える皿ヶ峰を眺める風光明媚な東温の地に、昭和23年12月1日、県立東温高等学校定時制課程農業科として、広大なクヌギ林を切り拓いて設立されました。校庭に残るクヌギ林の中にある記念碑「耕」には。「本校草創期、耕地を自ら拓き、樹木のごとく汗して、その耕の精神隆々と今に息づく」とあります。
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 現在、本校は創立75年目を迎え、普通科14クラス、商業科7クラスを有し、特色ある教育を実践しています。
 本校の重点努力目標は、今まで通り「生きる力をはぐくみ、共に学び高めあう教育の推進~社会に貢献できる人間性豊かな生徒の育成を目指して~」とし、マニュフェストのサブタイトルを校訓「自律・練磨・敬愛」に基づいて、責任を持って行動し、創造性に富み、人を思いやる温かい心を持った生徒に成長してほしいという思いから、「自立する18歳の育成」としました。生徒達には、自然に恵まれた東温の地で青春を謳歌してほしいと思います。
 保護者の皆様、同窓生の皆様、そして地域の皆様、本校の教育活動に対するご理解とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

                                             愛媛県立東温高等学校長 灘野 達人

令和6年度東温高校グランドデザイン.pdf

校長日記

令和6年度 第2学期終業式 式辞

2024年12月20日 11時13分
校長室より

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令和6年度 2学期終業式 式辞

 皆さん、おはようございます。 
 今日で2学期が終わり、あと10日で令和6年2024年も終わりを迎えます。今年1年は皆さんにとってどのような1年だったでしょうか?そして、2学期は充実していましたか?始業式では柔道の阿部一二三選手の話から「決してあきらめることなく、自分の夢に向かって何事にもチャレンジする勇気と努力する姿勢を持って欲しい」とお願いしました。どうでしたか?では夏休みと2学期の東温高を振り返ってみましょう!まず、体育祭では皆さんのすさまじいエネルギーを感じることができ、文化祭では全力で楽しむ皆さんの姿を見ることができました。本当にありがとうございました。部活動・同好会での活躍も多くみられました。国際理解研究同好会が仙台市で行われた「第12回高校生国際理解国際協力研究発表会宮城大会」で第2位となる「国際交流基金賞」を受賞し、インターハイには陸上競技部、男子ハンドボール部、男子ソフトボール部が出場するなど東温高の名前を全国にとどろかせる活躍をしてくれました。特に男子ソフトボール部は県新人大会も優勝し、3月に千葉県成田市で行われる全国選抜大会に出場します。健闘を祈ります。
 他にも吹奏楽部の吹奏楽コンクール愛媛県大会での金賞、高校生英語スピーチコンテストで佐藤サワラさん第3位、高校生英語弁論大会では越智龍君が四国で2位になるなど運動部も文化部も大変活躍し、東温高校の勢いを感じました。
 加えて地域への貢献や交流が多くあったことも大変嬉しく思います。吹奏楽部の商業施設や刑務所での演奏、愛媛FCのマッチシティへの参加、特別支援学校との交流、ライフサポートコースの様々な交流、ボランティア活動など東温市唯一の学校として地域貢献をしてくれました。これからも地域を愛し、地域に愛される東温高校でありたいものです。
 令和6年を振り返ってみましょう。今年は元日から能登半島で大地震が起きました。また、9月には同じ能登半島で豪雨災害が起きました。やはり、災害は、日にち、時間、場所などこちらの都合は一切聞いてくれません。災害に対する意識を高めたいものです。
 そして、10月にノーベル委員会が、今年のノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与すると発表しました。あまり大きな話題にはならなかったのですが、今の世界的な危機を物語っているように思います。戦争は最もひどい「いじめ」だと思います。12月の授賞式での演説で田中煕巳さんが「人類が核兵器で自滅することのないように!!」「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!」と言っています。戦争という「いじめ」に対して「無関心」や「傍観者」にならないようにしたいものです。
 また、今年はスポーツ面で「日本人には無理」と言われていた分野での活躍が見られました。大谷翔平選手の50本塁打50盗塁は今までだれもできなかったことを日本人がやってくれました。パリオリンピックでも、北口榛花選手が女子フィールド競技で初の金メダル、ヨーロッパが強いフェンシング男子フルーレ団体、そして男子高飛び込みでは17歳の玉井陸斗選手が初のメダルを獲得しました。そして、パラリンピックでは車いすラグビーが悲願の金メダルを獲得しました。
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 先日高知県で車いすラグビー日本代表の池透暢さんの講演を聞く機会がありました。非常に感銘を受けたので一部を紹介したいと思います。この講演は、「不撓不屈~逃げなければ道は開ける~」という演題で行われました「不撓不屈」とは「どんな困難や苦労にもくじけず、強い意志をもって立ち向かうこと」という意味があります。池さんは、19歳の時に友人を含めて5人が乗った車で交通事故に遭い、3人が死亡したそうです。池さんは一命を取り止めるものの左足切断、左腕の自由も利かなくなり、全身の75%の熱傷を負ったそうです。熱傷治療のため、背中や頭部の皮膚を移植するなど、手術は2年半で約 40回にも及んだそうです。地獄のような毎日を過ごしていましたが、亡くなった友人のために『生きた証を残したい』『死んだ友人3人分、合わせて4人分の人生を行かなければならない』と決意し、中学時代の恩師から勧められた車いすバスケットボール始め、極めた先にはパラリンピックがあると知りました。しかし、左腕が利かない池さんは限界を感じてしまいました。このままバスケットボールを続けていても、日本代表に入れるのかわからない。そんな迷いが生じた矢先、2012年のロンドンパラリンピックで、初めて車いすラグビーを見て、『自分が入ればもっと強くできる。この場所で輝きたい』と思ったそうです。
 そして、2016年リオデジャネイロパラリンピックで銅メダルを獲得しました。その時「交通事故から17年かかり、目標を達成することができた。『友人のために』とそれだけを追い求めてやったので、友人の生きた証となった。」とおっしゃっていました。
 その後、2018年の世界選手権で優勝し、2020年の東京パラリンピックで金メダルを取るためにアメリカリーグにも挑戦したそうです。しかし、コロナの影響で東京大会が延期になった時、「何のためにやるんだろう。望まれてない大会のために、僕はなぜ努力をするんだろう。」ということも考えたそうです。しかし、病院のベッドで決意したことを考え、「思いどおりにならないことのほうが多い。それにとらわれていたら一生弱いまま。どうとらえる?どう工夫できる?何から始める?一歩を踏み出せないことが一番もったいない。」「困難が、『成長の時期』簡単に叶わない夢が自分を成長させてくれ、本気で努力した事の先に、本当の喜びと価値がある。努力と失敗を繰り返せば、そこに心が伴い、人としての財産(強さ)になる。逃げれば悪い癖になる。」と今まで生きてきた中で学んだことを思い出し、懸命に努力し、東京大会で銅メダル、そしてついにパリ大会で金メダルを獲得しました。最後に「悔しさをエネルギーに変え、努力することが大切だ!」とおっしゃっていました。逃げなければ道は拓けます。令和7年の自分に期待してみましょう!
 最後に、年末年始は家族や親戚とゆっくりと過ごし、リフレッシュしてください。1月8日の始業式に皆さんと会うことを楽しみにしています。
 以上、2学期終業式の式辞とします。